こんにちは!相談員の福永です。

昔の記憶をたどってみました。つぶやきを聞いて下さい。

「あんばいしぃや」「あんばい出来たなぁ」明治生まれの祖父母が幼少期によくかけてくれた言葉です。
口癖のように言っていたので、田舎くさいなぁ・年寄りくさいなぁと子ども心にも当時はうるさく感じたりもしたものでした。

 ところが月日は流れ〇十年経った今日この頃、なつかしく思い出し「あんばいしぃや」にはいつも祖父母たちの心配や愛情が込められ
ていたのだと気付いたのでした。 それまでは何となく「あ・ん・ば・い」と、ひらがなでインプットしていたのですが、
ある日のこと、それが「塩梅」であることを発見。すると料理の本や小説でなぜか「塩梅」の文字が次々と目に飛び込んできたのです。
以来、自分でも時々「あんばいしよう」「ええあんばいやな」とつぶやくようになり、つぶやくことで安心を感じるようにさえ
なってきました。  

 また、調べてみると名張弁だと思い込んでいたのが、実は立派な共通語だったのです。意味は「料理の味つけの具合や加減」
「機械の調子や体の健康、仕事などの状況」「物事やスケジュールなどを考えて処理したり整えたりすること」などをあらわす
とのこと。類義語には「さじ加減」「塩加減」「案配」「按配」「コンディション」等があるそうです。  
昔の調味料は主に塩や梅干しだったようで、その微妙な加減が難しく、まさに“ええ塩梅”が‟おいしさ“に繋がったようです。

 最後に、最近親しんでいる作家:梶 よう子氏の著書『柿のへた』から主人公:草介が頭をぽりぽり搔きながら言った言葉を
ご紹介します。  

「早急に為そうとすれば、無理もしますし、苛立ちもつのります。急ぎ足ばかりでは息も切れる。その点、草木は正直ですよ。
土と水とお日様がほどよくなければ花を咲かせてくれません。なにごとにも過ぎてはいけないし、足りないのもいけない。
ゆっくり、ゆったり、いい塩梅ってことですね。」

福永から草介さんへ。
 いい塩梅って簡単にはいきませんね。小さくても私なりの花がいつかは咲くのでしょうか。咲かせてみたいと思います。
一人じゃできないけど、支えてもらいながら…。